AP通信
中国はヨーロッパの外交官にある少年の写真2枚を意図的に見せたが、(中国側の言い分は)ダライ・ラマがチベット仏教の最高聖職者の1人として選んだ5年後、中国政府が監禁し、行方不明になっている少年本人という。人権団体は、現在11歳の世界で最も若い政治囚であるこの少年の解放を呼びかけている。
1995年5月、(ダライ・ラマによって)ゲンドゥン・チョーキ・ニマ少年がパンチェン・ラマとして選ばれたのをきっかけに、中国政府は対抗相手の少年をパンチェン・ラマに選び、中国のチベット50年の支配に新たな論争が口火を切った。
中国外務省は1999年9月、北京での人権団体の会議開催中、EU(ヨーロッパ共同体)の外交官や、その後ロンドンで開催された同類のフォーラムで、イギリス政府に対しても同様に、ニマ少年という写真を見せたが、その会議に出席した人々は次のように話している。
「写真には少年が卓球をしたり、黒板に中国語を書いている様子が写っていたが、写真はその少年だと見分けがつかないような状態だった。中国政府はその写真に写っているのは、ダライ・ラマが選んだパンチェン・ラマ転生者、ゲンドゥン・チョーキ・ニマであると主張したが、大きな会議テーブルをはさんで見なければならなかったのでニマ少年だと判断しにくかった」
「これらの写真はゲンドゥン・チョーキ・ニマの安否や、所在を示す何の証拠にもなっていない。このようにして外国政府をごまかすことは、失礼なことだ」とロンドンを拠点に活躍している団体フリー・チベット・キャンペーンのアリソン・レーノルズは述べた。伝えられるところによれば、中国側の外交官は、EU外交官へその少年は北部チベットのナクチュで家族といっしょに暮らしていると話した。以上が、中国側からのこの少年に関するまちまちな説明の最新情報だった。
ニマ少年は北京郊外、あるいはチベット近くの省にいるという他の証言もあった。中国側はニマ少年が健康かつ自由に教育も受けていると主張してきたが、その間ずっと外国人がニマ少年に会うことを許可していない。中国外務省スポークスマンは写真については知らないが、その少年は一般の中国国民であると繰り返すだけだった。
宗教的に卓越した高僧は転生しその生まれ変わりは何世紀も続くしきたりで認められる、チベット人はと信じている。亡命中のダライ・ラマや年長の宗教的リーダーの多くが切望するように、パンチェン・ラマは議論の余地がないほどチベットに残された最高位の聖職者だった。例えば、彼は次のダライ・ラマの転生者を探すのに重要な役割を担うことになるだろう。中国政府は、自分たちがパンチェン・ラマ11世に選んだ少年をチベット人に納得させるのには難儀してきた。その中国側が選んだ少年は北京近くに住んでいるが、軍隊の監視の元、1年前にチベットの僧院を訪れた。
中国政府は別の僧、カルマパ17世を育てていたが、彼は宗教的修行が制限されるのを公然と非難して、2000年1月にチベットからインドへこっそり逃れた。
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